讃岐地人食堂“汐さぎ!庵”は、2011年、11月11日オープンです。

“汐さぎ!庵”は、讃岐の国(香川県)の豊かな風土から生まれる四季折々のお野菜と瀬戸内海の天然の地魚を中心とした地産食材が主役の小さな食堂です。

古来より、食の基本は国内自給で、国内自給の基本は、地産地消である。

末永く『汐さぎ!庵』をご利用いただけましたら、幸いです。

2010年12月8日水曜日

岩手/盛岡/光原社1(賢治を巡る冒険)












『注文の多い料理店』の出版社。賢治が名付け親。
今は、伝統工芸品、民芸品、漆器などを販売している。
資料を読むと、柳宗悦や棟方志功とも関係が深いそう‥。(系列店のほうに、柳宗理の南部鉄器シリーズも販売していた)
良いモノを作る職人さんのために存在するお店。
賢治関係で圧巻なのは、中庭にある、賢治の石碑、詩などの展示物と資料室。
この内容を無料で拝見させて頂ける場所は、そうはない。。
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☆以下、資料より、抜粋。
作者は無名、出版社に確たる販路がなく、書価も高い、と売れない三拍子が見事に揃いすぎて「注文の少ない料理店」という結末を迎えたことは当然すぎることであった。廊下に山積みされた童話集は残された家族の胸に焼き付いている。
及川は生涯お金儲けには縁のない人だったが、収支の計算できない人物ではなく、数字には人一倍明晰できっちりとした商人道を好んだ人だ。
発刊後80余年を経た今、領収書や説明する手紙もなく推理するしかないのだが、はっきり断言できることは人間宮沢賢治に対する無私の敬意と母校愛だろう。
賢治に対する尊敬とは、文学的才能とか、農民指導者としての面とか、限定して評価していたのではなく、賢治の全人格と賢治がかもしだす理想郷に深く共鳴し「イーハトブ」の夢を四郎なりに重ね合わせていたのだと思う。
たった一冊の「注文の多い料理店」はその後四郎と光原社を導く羅針盤となった。
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