讃岐地人食堂“汐さぎ!庵”は、2011年、11月11日オープンです。

“汐さぎ!庵”は、讃岐の国(香川県)の豊かな風土から生まれる四季折々のお野菜と瀬戸内海の天然の地魚を中心とした地産食材が主役の小さな食堂です。

古来より、食の基本は国内自給で、国内自給の基本は、地産地消である。

末永く『汐さぎ!庵』をご利用いただけましたら、幸いです。

2014年4月27日日曜日

私たち、と、僕ら。


宮台先生の、新書やっと読了。
(毎日の拘束時間が15時間という現状では、仕方なし‥
働くか、寝るか、読むか‥の日常。)

次世代の若者(つまりは自分たち)
に希望を託した、薫陶の書物。

ぼくたちは、“フィクションの繭”を認識すると同時に、
“浅ましさ”を克服し、“参加と包括”を
取り戻さなくてはならない。

原発をやめられない社会をやめるには、
“でたらめな民主制”をやめねばならず、
それには、依存的な個人を生産する
“依存的な共同体”を“自立的な共同体”に取り替えて
『自立的な個人』を育まなくてはならない。

自発性(損得勘定)より内発性(損得勘定を越えるもの)
をベースにした徳のある者が溢れ、
政治を引き受ける社会を目指さなくてはならない。

そして、そうした社会を目指した
心を、
さらに次の世代へと、
受け渡して行かなくてはならない。

と、いうこと‥。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

で、宮台先生の、あとがき。

最後に申します。
昨年僕が看取った師匠の小室直樹先生が
日本はもう駄目だと慨嘆する私に

「否、宮台君、社会が悪くなると人が輝く、心配はいらない」

と諭されたのが15年前。

私は昨今の状況を見るにつけ小室先生の
仰った通りなのかもしれないと感じています。

とりわけ、若い人に申し上げたい。
どうか2010年代を「他人任せ」にせず、
「自分たち」の手で切り開いて、実りあるものにしてください。

否定的な踏み台になることも含め、
この文書を含めた僕の活動がそれに役立つなら、
これにまさる幸せはありません。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 

汐実くんと、海さん。


2014年4月20日日曜日

うつりかわり。


梨の花が散り、


家々の鯉のぼりが、

空に彩りをそえた後、

(断絶してしまっていた我が家の鯉のぼり‥、
縁起物の継続は、信じる心の対象化)







あじさいが咲きはじめ、




新緑の深い緑がやってくる‥。








わたくしたちは
氷砂糖をほしいくらいもたないでも
きれいにすきとほった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

またわたくしは、
はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。

わたくしはそういうきれいなたべものやきものをすきです。



島根旅2


少し時が、もどるのですが…
(3月から、忙に追われ、心も体も余裕がなく‥)

大森、岩見の思い出を少々‥。






明治時代の歌人、斎藤茂吉が

柿本人麻呂の終焉の地とした、

鴨山が

そびえたつ地、湯抱町。

(が、梅原先生は“水底の歌”で、人麻呂の
水死、刑死の可能性を説いている。)





その鴨山。




古来より、
森や山というのは、
神聖な場所、あの世と交わる場所と、
考えられてきた。

(柳田国男は、渡来系、稲作文化の大和民族
に追われて
山で狩猟採集宗教文化を形成したのが、
アイヌやサンカと考察している。
(ぼくたちはその混血)

多様な生物の循環、草木国土悉皆成仏

という概念は、

産業革命以降の

飽和的な日本人に対する

処方箋。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



鴨山のふもとにひっそりとたたずむ、
湯抱温泉、日の出旅館さん。

趣のある侘びた建物の中で、
明るい女将さんが、
設け度外視の料理内容できりもりしている。
(天然物、地物であるかないかとかではなく、
サービス精神がすごい。)

こういう地に適切な、人の訪れを望みます。

そして、若い力による存続を‥。



芸術的な千枚田の折出物。


鴨山の横で、源泉発見。
(硫黄の匂い‥。)

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

大森町の小学校。



大きくて広くて必要以上に綺麗で安全な施設より、

小さくて不便で、危険があっても

自然溢れる場所で

子供に育って欲しい、と思うようになった。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

重要文化財、熊谷家住宅。


地域住民の冠婚葬祭を担っていたという、厨房。

今でも大森町の子供達の教育に、使用しているらしい。

一昔前の村落共同体の生活を
思い浮かべることが可能な施設。


花嫁、という言葉がかもしだす、情景。






2014年4月15日火曜日

修羅と救済。


文藝別冊の賢治のムックが素晴らしい。

吉本隆明氏(ほんたうの神様と科学)、天沢退二郎氏の
賢治評論の両巨匠ばかりでなく、

最近よく購入する民俗学の宮本常一氏や
和合亮一氏のエッセイ。

そして、今まで読んだことがなかった、
中沢新一先生の賢治論、

“過ぎ越しの賢治

意味ある日本人に、
買ってもらって後悔なし。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

過ぎ越しの賢治、
一部、抜粋。

産業や、商業や、農業や、機械や、科学や、
芸術や、宗教や、人間の幸せについて、
僕たちの時代は、もういちどそれを、
宮沢賢治的な思想のスタンスで、
考え直してみる必要があるのではないでしょうか。

僕たちは、世界的規模にはりめぐらされた
なにか巨大な嘘によって、思考を曇らされているのではないか、
という気がするのですよ。

何もかもが、有から有への変態や移動として
思考するように訓練されていて、
しかもコンピュータは情報化によって
不死の様式をあたえられた富や財の、
巨大な蓄積と再配分を、確実に進行させます。

こうして僕たちは、
自分たちの生の底のほうで
起こっていることから、
目を遠ざけられています。

有が有でしかない世界では、死は無価値になり
それといっしょに、生も意味を失っていきます。

価値とは、無から発生してくるものです。

それは、存在の贈与なのです。

賢治はそのことをよく知っていた人です。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



さぶちゃんの先生、月朝の東曜さんが、
綾川市長選に出馬し、落選した‥。

結果如何は問題ではなく、
本気で変えようとしている姿勢を感じ、

個人的に左よりの人達に感情移入できない
自分を反省、自戒。

義を見てせざるは、勇なきなり。

どうせ無理、理解してもらえるわけない
という諦念に、浸かりっぱなしの
自分の毎日を見直し、改善する。

縁起とは因果。
此あれば、彼あり。此なければ、彼なし。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


色物野菜がないことを電話で愚痴っていると、
ご近所様が、ラディッシュを!。
縁起発起。

2014年4月8日火曜日

山菜と、花。


“竹の子も 鳥の子も只 やすやすと”
子規


ぽかぽか天気が続き、
竹の子や、蕨、土筆など‥
春の山菜や、


葉ゴボウが、
顔をだしております‥。


桃色の景観も、今週いっぱい‥。



青い鳥、現る。


2014年4月5日土曜日

連絡。



4月7日(月)、8日(火)は、

臨時休業

をいただきます。

ご了承くださいますよう‥。






□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

あと、

共に働く人を、

募集します。

自分より若く(昭和54年生)

体力に自身のある方で、

『夏目漱石の“こころ”』

に、思うところがあった方なら、

調理経験は、問いません。

(農業経験、労苦の経験は、あるとうれしい…)



おお朋だちよ 

いっしょに正しい力を併せ

われらのすべての田園と

われらのすべての生活を

一つの大きな第四次元の芸術に

創りあげようではないか‥

農民芸術概論綱要 宮沢賢治