讃岐地人食堂“汐さぎ!庵”は、2011年、11月11日オープンです。

“汐さぎ!庵”は、讃岐の国(香川県)の豊かな風土から生まれる四季折々のお野菜と瀬戸内海の天然の地魚を中心とした地産食材が主役の小さな食堂です。

古来より、食の基本は国内自給で、国内自給の基本は、地産地消である。

末永く『汐さぎ!庵』をご利用いただけましたら、幸いです。

2010年7月14日水曜日

W杯の終わり/日本を代表するということは‥




大会前の予想、展望を覆し、おおいに盛り上がった2010年W杯と日本代表。
優勝は、欧州の強豪国スペイン。
(個人的には、南米の強豪国(ブラジル、アルゼンチン)を応援しておりましたが‥)
サッカー後進国と呼ばれるアジア、アフリカの国々も健闘していましたが
素人目から見てもその差はまだまだ埋めがたいものにうつりました。

で、我らが日本代表は、トーナメント一回戦でPK敗戦。
結果は、非常に残念でしたが
日本人の和を尊ぶ意識、運動量と精神力を世界の舞台で見せてくれました。
若い選手の向上心は本当に立派。
4年後に期待。これからもっと強くなる。


(追記)
最も印象に残った、岡田監督の人間力の高さ。

“脈々と受け継がれている日本人の魂を持って戦ってくれたことを誇りに思う。われわれのW杯はこれで終わったが、選手はまだまだ前に向かって進んでいかなければならない。私は彼らをずっと応援して、見守ってあげたい”

監督は、端的に日本サッカー会やW杯のコトだけを意識していたのではなく、
もっと高い視野と共同体意識を持って、選手を我が子のように思いながら、
日本代表監督という仕事に取り組んでいたのだと感じました。

2010年7月1日木曜日

小沢健二について/また、思う。



思想家、活動家としての小沢健二。

これが、僕の中では一番重要な姿であって、
それ以外の表出は、蛇足に過ぎない。

とか、言ってしまいたくなる、ソロ活動期の名文を
思い出して再読してみました。

一人で起つ!独立独歩。
という今の状態の自分を重ね合わせて、
読むとまた、美味。

時間のある人は、読んでくれると、嬉しいです。

あと、ひふみよ。新曲インストールできます。
http://hihumiyo.net/response_to_inquiries.html
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"犬は吠えるがキャラバンは進む"というのは僕の好きなアラビアの諺で、正確な意味はよく知らない。だけど例えばこのアルバムで僕が何回か言っているように"俺という犬は吠えるのだが熱力学的キャラバンは全く無頓着に進んでゆく"という風に考えることもできるし、また同じくらい何回か言っているように"犬たちが吠える時にも恐れずに僕たちはキャラバンを進めていくことにしよう"という風に考えることもできて、実際に僕は1日の中で犬になった気分になったりキャラバンになった気分になったりする訳で、では結局これはどっちでもいいいい加減な諺なのだと勝手に決めて、多くのアラビア人や諺学者には悪いけど、この言葉をタイトルにすることにした。略称はぜひ"犬"でお願いしたい。"犬キャラ"というのは今一つである。芸術について僕が思うのは、それはスーパーマーケットで買い物をするようにアレとコレを買ったからカゴの中はこうなるというものではなくて、アレもコレも買ったけど結局は向こうから走ってきた無限大がフュッと忍びこんで決定的な魔法をかけて住みついてしまったどうしましょう、というようなものではないかということだ。言い古された言い方をすると、作者に全てがわかる訳じゃない。でもお喋りな作者というのは常にいて、哀れにも自分の作品には及びもつかないみすぼらしいメモ帳の切れはしを読み上げてしまったりする。僕は過去に何人ものそういう愛すべき作者たちが好きだったんだけど、今回はどうやら僕の番のようだ。せいぜい堂々とやろう。まず僕が思っていたのは、熱はどうしても散らばっていってしまう、ということだ。そのことが冷静に見れば少々効率の悪い熱機関である僕らとかその集まりである世の中とどういう関係があって、その中で僕らはどうやって体温を保っていったらいいのか?(このへんの下りは暇な人には考えてもらってもいいけど、暇じゃない人にはどうか読み流してもらいたい。こんなライナーノーツは全く、僕が好きな蛇足というやつに過ぎない。)またある点で物事の性質がクリッと音をたてて変わるというのはどういうことなのか? それにもの凄くスピードの違うものがあるということは? などなど悩み盛りの若者らしく様々考えていたりする一方、それにしても友達はうざったそうに鏡を見てるし、どこかへ出かければ楽しいし、夜更けにリズムやメロディーはほんとに心に突き刺さる。しかもそういうことと前に述べたようなこととは全く無関係ではないらしい。一体どういうことなんだ? ある友達の女の子が出来たばかりのこのアルバムのカセット・テープを聴いて、何かゴスペルみたいねと言った。その時僕は即座に言わなくてもいい軽口の2つ3つをたれ流してその場をごまかしたんだけど、本当はその子をぎゅーっと抱きしめてしまいたかった。どうかこのレコードが自由と希望のレコードでありますように。そしてこのCDを買った中で最も忙しい人でも、どうか13分半だけ時間をつくってくれて、歌詞カードを見ながら"天使たちのシーン"を聴いてくれますように。ついでに時代や芸術の種類を問わず、信頼をもって会いに来た人にいきなりビンタを食らわしたり皮肉を言って悦に入るような作品たちに、この世のありったけの不幸が降り注ぎますように。しつこいけど、こんな風に書き連ねているたわ言は、本当にただの性急なる僕の無駄口にすぎない。よくCDを買うとついてくる指人形やなんかのオマケと一緒である。この風変わりなオマケをしめくくる前に唯一言うべきことがあるとすれば、このレコードに関わってくれた人達への感謝だと思う。特に一緒に演奏をしてくれた人達には、巨大かつ不気味なキスと共に捧げたい。どうも有難う。誰もが知っていることだけど、夜が明ける朝は必ず来る。もし朝が来て眩しすぎて嫌になってしまったら、それでもしその日休むことができたら、夕方まで寝てしまってから起きて散歩にでも行くかお酒でも飲むことにしよう。僕がこのCDに望むのは、車の中や部屋の中やお店の中で、小さな音ででもいいから何回かかけられることだ。歌詞なんかうろ覚えのままで口ずさんでもらったりすることだ。キャラバンは進むし、時間だって進んでいく。いつか近くで僕がライブをやることがあったら、来て一緒に歌ったり、踊ったりして欲しいと思う。

小沢健二

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