讃岐地人食堂“汐さぎ!庵”は、2011年、11月11日オープンです。

“汐さぎ!庵”は、讃岐の国(香川県)の豊かな風土から生まれる四季折々のお野菜と瀬戸内海の天然の地魚を中心とした地産食材が主役の小さな食堂です。

古来より、食の基本は国内自給で、国内自給の基本は、地産地消である。

末永く『汐さぎ!庵』をご利用いただけましたら、幸いです。

2011年5月22日日曜日

春の魚。



鰆が、その旬の時期を終えようとしております‥。

煮ても焼いても蒸しても美味しい!瀬戸内の代表魚。

鰆の味で、去年の記憶が頭をよぎる。

蒸し暑い、梅雨のはじまり…。



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【「どう生きるのか」という問い。本当の問いに向き合うとき】
社会学者宮台真司氏のブログを拝見‥。

非日常時の分析、論考ではやはり特筆。
これほどまでに、「信用できる」、「考えなくてはならないことに動機づけられる」
文章を提示できる人は、他にいないのではないか‥。
自分も、浅ましい大人にならないように、気をつけよう…。とか思った。

〈以下、抜粋〉
我が国が行政官僚制肥大を克服できない理由は、単に行政官僚が政治家よりも頭が良いからとか強いからという話でなく、我々自身に、関係性内部での立ち位置ばかり気にして真理性や合理性を優越させない〈悪い心の習慣〉があり、それによって〈悪い共同体〉を営むからだ。

社会や人生の〈最終目的〉の話をしよう。〈過剰依存〉は様々な形を取る。国家(おカミ)への依存。市場への依存。所属組織への依存。「絶対安全」な堤防への依存。「絶対安全」な原発への依存。

総じて「平時」にしか回らないシステムへの依存=非自明な自明性への依存。  非自明なこと(作為)を自明性(自然)と取り違える癖を丸山眞男は「作為の契機の不在」と呼び、「抑圧の移譲」(上から抑圧されると下を抑圧すること)などと並んで、問題のある社会や組織(の行動)を、他の国々のように変えることができない理由ではないかと考えた。  こうした非自明な自明性への依存は、社会や人生の〈最終目的〉を見失わせてしまう。

総じて僕らは、コンビニエンス(便利)やアメニティ(快適)をハピネス(幸福)と取り違えてきた。更に深い水準ではハピネス(幸福)とウェルビーイング(存在の取替不可能)を混同してきた。「幸せとはなにか」「どう生きるのが良いのか」という、幸福と存在の取替不可能に関わる本当の問いを僕らは突きつけられる)http://www.miyadai.com/

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