昔むかし、あるところに、沼の原という町がありました。沼の原は、銅山の国という、小さな国にありました。
このお話のころの世界では、銅山の国のような国を、「貧しい国」と呼んでいました。このお話の頃の世界では、不思議なことに、お金をたくさん持っていないことを、「貧しい」と呼んでいたからです。
沼の原や、銅山の国の人たちは、本当に貧しいわけではありません。人びとは、森へ行って果物を集めたり、こむぎ粉をこねたり、それを焼いてくるんで食べたり、山でとれる銅を熱して、鍋や釜をつくったりしました。
夜おそくまで話をしたり、踊ったり、恋をしたり、となりの町まで歩いてみたりしました。動物とあそんだり、子どもを育てたりしました。暮らしのなかには、たくさんの喜びがありました。
この丸い星の反対側の、銅山の国からとても遠いところには、「豊かな国」と呼ばれる国がありました。
このお話の頃の世界では、不思議なことに、お金をたくさん持っていることを「豊かな」と呼んでいたからです。
「豊かな国」のつばた池と呼ばれる池のほとりに、とても背の低いうさぎ!が住んでいました。
そのうさぎ!は、薄いこげ茶色の土のような毛と、赤い大きな瞳を持っていました。
うさぎ!はいつも考えていたようです。
「人々が、住んでいる土地の記憶から切り離されて、昔話やおいしい郷土料理から切り離されて、ひとりひとりばらばらに、どれも同じ鉄のネジのように生きていく世界はつまらないのではないか…」と。
『パチャって言うんだ』うさぎ!は続けました。
パチャというのは、銅山の国に、古くからある言葉で、
“時と空間がくっついて、離れがたくなっているもの”という意味です。
「実際の世の中では、土地には必ず時が流れている。
季節が移り変わり、川の匂いが変わる。陽の光りが変わる。年月が流れて人や動物が生まれて死ぬ。
そうやって場所に時が流れていることが感じられる。
料理もそう、四季折々の色鮮やかな作物が実り、旬の魚が、めぐる。
その土地その土地の気候や文化、場の感覚に根ざした料理が生まれ伝えられる。」
『失われつつあるパチャを取り戻そう!』
うさぎ!がそう決意し、言葉にだしてみると、不思議なことに、パッと閃光のような光りが差し込んだかと思うと、うさぎ!の体はみるみるうちに、
“土のほこら”のような建物に変化していきました。
その“ほこらのような建物”の中には、
あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、希望とか、優しさとか、おもしろさが 毎日、汐の満ち引きのように、とても静かによせてはかえしていました…。とさ。
“汐さぎ!庵”のはじまりのころのおはなし‥。
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面白いかと思ったが、実際に使うのは難しそう…。
短く、オブラートに包んだ優しいものに、改良しよう。
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