賢治が自耕生活した地は、農地としてそのまま残っていた。
“羅須地人協会”の建てられていた場所(現在は農学校に移設)に、
高村光太郎の揮毫した碑があった。
高台で、風が通り、木や空気が、現在でも綺麗に流れる。
『われらは世界のまことの幸せを索ねよう
求道すでに道である』
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わたしたちは氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとほつた風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
わたくしはさういうきれいなたべものやきものをすきです。
(注文の多い料理店より)
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まさしきねがひに いさかふとも
銀河のかなたに ともにわらひ
なべてのなやみを たきぎともしつつ、
はえある世界を ともにつくらん
(農民芸術概論要項より)
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