咳をしても、ひとり
風邪をこじらせた夜が続いた秋の一月..。
綾歌町民の秋の祭典、
あやうたふるさと祭りにも参加できず...。
師走近づく、風の中、
「あさの実えん主催の伊勢達郎さんの講演」
にはなんとか、
参加してきました。
参加してきました。
以下
学んだところを、書きます。
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参加まえに得ていた情報に、
「主体性の尊重」
(ありのままでいい、褒めない、叱らない、認める教育)
という教育方針が記載されていて、
個人的に、懐疑的な思い..。
”駄目なものは駄目”
と大人が言わないと、子供はアノミー(前提喪失)に陥り、
存在、行為自体に意味を感じなくなってしまう。
言うべき際に、怒らなくてはならない。
というのが、自分の教育方針。
(正直、あじめさんやあかりさんの話を聞いていなければ、
参加はしていなかったと思う)
でも、開講すぐ、あけすけのない
、 「”こうすれば必ず良くなる”ということを言う人間は疑ったほうがいい」
「数を頼みに徒党を組み発言力を高める人間には、僕は会わない」
「かなりきついことも言うけれど、話半分で聞いてください」
などの
自由主義、建前主義でないとっかかりから、
講義全般、納得の拝聴。
いろいろ感じたことはあるけれども、要約します。
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一番に認識しなくてならないのは、
「子の成長ではなく、親の成長。」
ということ。
子はどんな環境でも学ぶし、親の思うよりも、適応、成長しようとする。
(これに関しては、自分自身、獅子舞の例で納得)
親は特に、過剰な情報の中で、価値判断を、
大きな視点をぬきにして、自己満足や他者に対する優越感で
教育しようとしてはいないか?
ということを自制しないといけない。と、感じた。
次に、
「叱るのではなく、怒る、」
ということ。
親も感情があって当然。
子供の理不尽な欲求や、規範を超えるものが表出したら、
自分の感情のままに、ありのままに怒らなくてはいけない。
逆に
子供があきらかに理不尽ないじめにあっているような場合があるのならば、
親が感情のおもむくまま、学校に乗り込み、戦わなくてならない。
達郎さんの仰るところは
親も子も他人も生物も、同じもの。
思うようにはいかない世の中で、
思うようにはいかないと、
理解したうえ、認めたうえで、
折り合っていかなくてはいけない。
というまとめ。
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