東日本大震災から一週間が過ぎ、
“事態は収束、復興の状態の兆し”に入り始めて来ました。
(いまだ、予断を許さない、多種の問題もありますが‥)
今回の震災騒動の一連で思ったことなのですが、
被災者、または当事者でもない人間が、
『それを我が事のように考え、思いを馳せ行動する』
ということは、素晴らしい力を生むこと‥に繋がる。のだけれども、
『それを完全に理解したかのように振る舞い発言する。』
ということは、逆に悪い影響を及ぼしかねないこと…のように自分には感じた。
東浩紀さんの“ツイッター内リツイート”で、見つけたつぶやきに、
「一緒に復興に務める」ということと、
「一緒に辛苦に耐える」ということは、
前者は有意味だけれども、後者は無意味。
とあったのと、広い意味で同義か?。
肝に銘じて、自粛の気分、今の自分の狭義な思考ツールから離脱し、
行動を起こし、経済を回し、より良き日本の復興に務めましょう。
(必要なモノを買い、必要なモノを食べ、必要なストレスを発散しましょう!。)
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〈全くの余談〉
昨日、『ワンピースの劇場版』をテレビで見つけ、
作為無く、感動できた自分は、まだ大丈夫‥と、思えた。
また、桜が咲く…。

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