讃岐地人食堂“汐さぎ!庵”は、2011年、11月11日オープンです。

“汐さぎ!庵”は、讃岐の国(香川県)の豊かな風土から生まれる四季折々のお野菜と瀬戸内海の天然の地魚を中心とした地産食材が主役の小さな食堂です。

古来より、食の基本は国内自給で、国内自給の基本は、地産地消である。

末永く『汐さぎ!庵』をご利用いただけましたら、幸いです。

2011年5月27日金曜日

汐さぎ!庵。建築現場日誌①








先週から始まっている「汐さぎ!庵」の建設工事。


休日に向かってみると、土が山盛りになっていて、


次の週には、檻のような基礎鉄筋ができあがっていました。


「平屋の戸建ての基礎にしては、しっかりとした内容だ」と現場監督。


土台、基礎がしっかりしている、という言葉と、


現場の職人さんの作業風景から


安心感を感じた、一日。


もうまもなく地中に沈み、長い時間を支えてくれる、


「汐さぎ!庵」のちからもち…。


2011年5月25日水曜日

讃岐富士/おじょも伝説/クグロフ。



飯野山のふもとには、たくさんの果実や野菜が

育てられていて、手入れをしているお年寄りをよくみかける。

人になれた、黒い野犬がうろちょろと、餌をもらいについてくる。

スナックエンドウの朽ちかけの香りと、小さい空豆。

サクランボの甘い匂いも重なる‥。

昭和天皇の読んだ詩‥。

なにかこう、今日はそれだけで

胸がいっぱいになった…。



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孤立 名峰飯野山は讃岐平野のほぼ中央にあり、その雄大で

美しい姿は、別名讃岐富士と称され親しまれています。

暁に 駒をとどめて見渡せば

讃岐の富士に雲ぞかかれる 昭和天皇

くにうみの頃、飯神社に祀られている飯依比古は讃岐の国の

代名詞であり、飯野山山頂には神が舞い降りた岩、鎮座、そして

飯神社には盤境といった信仰の跡が残されています。

この山にちなんだ民話の中に、天秤でかついだふごの山を

造るのが大得意な“おじょも(魔神、巨人)がでてまいります。

城山と常山とは後のふごにはいった土でつくられ、前のふごの土は

丁寧にうつしてビュート型の美しい峰飯野山がつくられました。

そして、おじょもが飯野山と常山をまたいで小便をしてできたのが

大束川であり、また、飯野山と象頭山をまたいで小便をしてできた

のが土器川だと言われています。

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『讃岐富士のクグロフ』または、『おじょもの愛したクグロフ』、熟成中。













2011年5月22日日曜日

春の魚。



鰆が、その旬の時期を終えようとしております‥。

煮ても焼いても蒸しても美味しい!瀬戸内の代表魚。

鰆の味で、去年の記憶が頭をよぎる。

蒸し暑い、梅雨のはじまり…。



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【「どう生きるのか」という問い。本当の問いに向き合うとき】
社会学者宮台真司氏のブログを拝見‥。

非日常時の分析、論考ではやはり特筆。
これほどまでに、「信用できる」、「考えなくてはならないことに動機づけられる」
文章を提示できる人は、他にいないのではないか‥。
自分も、浅ましい大人にならないように、気をつけよう…。とか思った。

〈以下、抜粋〉
我が国が行政官僚制肥大を克服できない理由は、単に行政官僚が政治家よりも頭が良いからとか強いからという話でなく、我々自身に、関係性内部での立ち位置ばかり気にして真理性や合理性を優越させない〈悪い心の習慣〉があり、それによって〈悪い共同体〉を営むからだ。

社会や人生の〈最終目的〉の話をしよう。〈過剰依存〉は様々な形を取る。国家(おカミ)への依存。市場への依存。所属組織への依存。「絶対安全」な堤防への依存。「絶対安全」な原発への依存。

総じて「平時」にしか回らないシステムへの依存=非自明な自明性への依存。  非自明なこと(作為)を自明性(自然)と取り違える癖を丸山眞男は「作為の契機の不在」と呼び、「抑圧の移譲」(上から抑圧されると下を抑圧すること)などと並んで、問題のある社会や組織(の行動)を、他の国々のように変えることができない理由ではないかと考えた。  こうした非自明な自明性への依存は、社会や人生の〈最終目的〉を見失わせてしまう。

総じて僕らは、コンビニエンス(便利)やアメニティ(快適)をハピネス(幸福)と取り違えてきた。更に深い水準ではハピネス(幸福)とウェルビーイング(存在の取替不可能)を混同してきた。「幸せとはなにか」「どう生きるのが良いのか」という、幸福と存在の取替不可能に関わる本当の問いを僕らは突きつけられる)http://www.miyadai.com/

2011年5月20日金曜日

蒸し暑い夜のミーティング。




ゴールデンウイークも終わり(学生時代を除いて、味わったことのない世間の休暇)
湿度の上昇とともに、長雨の日々の中、
来週には、工事が始まる“汐さぎ!庵”。
の、細かい現場作業とその他もろもろのミーティング。
(考えつくしたと思っていても、状況は変化し、不足は必ず出るものです‥。)
物事の道理がわかった、同世代の経験豊かな人達と、
こうすれば、あーすれば、と思いつく構想を、時間も気にならないほどに、
議論する(作戦を練る)ということは、本当に意味のある時間だな‥と思う。
“やむを得ざるに迫りて、しかる後にこれを外に発する者は花なり”言志四録
やむを得ないものが、想像を超えるものに…成る。
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「学者アラムハラドの見た着物」宮沢賢治


アラムハラドは学者で、11人の子供をおしえていました。
彼は、火や水や木、自然のものの性質を説明したうえで、こどもたちに問いかけます。
「人がなんとしても、そうしないでいられないことはいったいどういうことだろう。」
すると、ある生徒が「いいことをすることだと思います」と答えます。
アラムハラドは、自分が期待していた答えがでて、満足します。
でも、ふと見ると、セララバアドという子が何かいいたそうにしていることに
気づきます。
セララバアドはいいます。
「人は、ほんたうのいいことが何だかを考えないでいられないとおもひます」
この答えは、アラムハラドの予想を超えるもので、彼は、軽い目眩すら感じたのでした。

2011年5月17日火曜日

こうじかいし。



あしたから、“うさぎ!あん”のこうじが

はじまるので、ぼくも、いつ

およびがかかるかわからないので、

ショベルカーのうんてんを、

まいにちれんしゅうするのでした‥。

2011年5月10日火曜日

汐さぎ!庵のむかしばなし/優しいモード。

昔むかし、あるところに
一匹の小さなうさぎが暮らしていました。
そのうさぎは、こげ茶色の土のような頑固な毛と、
赤い大きな瞳を持っていました。
うさぎは、自然あふれる土地が好きでした。
月や星空を見るのが好きで、夜になるのを心待ちにしていました。
山が好きでした。
桃の花があたり一面に広がる頃には、とてもうきうきして、宙返りを2回ほどしてしまうみたいでした。
遠くの明かりをながめるのも好きでした。
山の上の大きな観覧車に、いつも手をふっていました。
昔のお話を聞くことや、おいしい郷土料理を食べることも楽しみのひとつでした。
うさぎの趣味は、自家菜園です。
紺色の作務衣に身を包み、旬の色あざやかなお野菜を、
お気に入りのだんだん畑で育てていました。
トマトが染まる頃には、じぶんもほっぺたを赤くして、満足そうに口笛を吹いていました。

がたんごとん、と鉄道の響きとともに時は過ぎ、
そんなうさぎもいつのまにかいなくなってしまいました‥。

うさぎの過ごしていた、ため池のほとりにはいまも
なつかしくて、豊かな情景が、
まるで、汐の満ち引きのようにしずかにゆらいでいる
みたいでした…。

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ひとつひとつの文章のなかに、周辺要素を散りばめて見ました。
暗喩をさがしてもらえれば、さいわいです。。
(しかし自分は、こんなにも真剣になにを考えているのだろう…。)

2011年5月6日金曜日

ホームページ用の昔話の思案中/うさぎ!よりのコラージュ文。

昔むかし、あるところに、沼の原という町がありました。沼の原は、銅山の国という、小さな国にありました。
このお話のころの世界では、銅山の国のような国を、「貧しい国」と呼んでいました。このお話の頃の世界では、不思議なことに、お金をたくさん持っていないことを、「貧しい」と呼んでいたからです。
沼の原や、銅山の国の人たちは、本当に貧しいわけではありません。人びとは、森へ行って果物を集めたり、こむぎ粉をこねたり、それを焼いてくるんで食べたり、山でとれる銅を熱して、鍋や釜をつくったりしました。
夜おそくまで話をしたり、踊ったり、恋をしたり、となりの町まで歩いてみたりしました。動物とあそんだり、子どもを育てたりしました。暮らしのなかには、たくさんの喜びがありました。
この丸い星の反対側の、銅山の国からとても遠いところには、「豊かな国」と呼ばれる国がありました。
このお話の頃の世界では、不思議なことに、お金をたくさん持っていることを「豊かな」と呼んでいたからです。
「豊かな国」のつばた池と呼ばれる池のほとりに、とても背の低いうさぎ!が住んでいました。
そのうさぎ!は、薄いこげ茶色の土のような毛と、赤い大きな瞳を持っていました。
うさぎ!はいつも考えていたようです。
「人々が、住んでいる土地の記憶から切り離されて、昔話やおいしい郷土料理から切り離されて、ひとりひとりばらばらに、どれも同じ鉄のネジのように生きていく世界はつまらないのではないか…」と。
『パチャって言うんだ』うさぎ!は続けました。
パチャというのは、銅山の国に、古くからある言葉で、
“時と空間がくっついて、離れがたくなっているもの”という意味です。
「実際の世の中では、土地には必ず時が流れている。
季節が移り変わり、川の匂いが変わる。陽の光りが変わる。年月が流れて人や動物が生まれて死ぬ。
そうやって場所に時が流れていることが感じられる。
料理もそう、四季折々の色鮮やかな作物が実り、旬の魚が、めぐる。
その土地その土地の気候や文化、場の感覚に根ざした料理が生まれ伝えられる。」
『失われつつあるパチャを取り戻そう!』
うさぎ!がそう決意し、言葉にだしてみると、不思議なことに、パッと閃光のような光りが差し込んだかと思うと、うさぎ!の体はみるみるうちに、
“土のほこら”のような建物に変化していきました。

その“ほこらのような建物”の中には、
あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、希望とか、優しさとか、おもしろさが 毎日、汐の満ち引きのように、とても静かによせてはかえしていました…。とさ。
“汐さぎ!庵”のはじまりのころのおはなし‥。
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面白いかと思ったが、実際に使うのは難しそう…。
短く、オブラートに包んだ優しいものに、改良しよう。

2011年5月5日木曜日

たんごのせっく。


きょうはこどもの日。
てんきもよかったので、おでかけし、
きがいっぱいのしぜんあふれるところにいきました‥。
こいのぼりが、かぜにゆれていて、とてもきれいでした。

2011年5月4日水曜日

新しくてなつかしい福音。







昔の雑紙を再読していて、思い出したこと‥。

“新しい村、村落共同体”という発想。

物作りの喜びを基盤にし、市場主義から乖離した、

小さいけど強く、多少のわがままは許せる自由な共同体。

成熟社会末期、震災以後に頭をよぎった、ある種回帰的な理想郷‥。