讃岐地人食堂“汐さぎ!庵”は、2011年、11月11日オープンです。

“汐さぎ!庵”は、讃岐の国(香川県)の豊かな風土から生まれる四季折々のお野菜と瀬戸内海の天然の地魚を中心とした地産食材が主役の小さな食堂です。

古来より、食の基本は国内自給で、国内自給の基本は、地産地消である。

末永く『汐さぎ!庵』をご利用いただけましたら、幸いです。

2010年6月24日木曜日

ひふみよツアー高松/小沢健二について/論考



久しぶりにコンサートと呼ばれる、何か気恥ずかしい空間に
足を運んで参りました…。
何故、小沢健二なのか?と申しますと、
“汐さぎ!庵”の“汐さぎ!”は
小沢さんが、『子どもと昔話』という季刊紙に連載している
『うさぎ!』という小説よりの引用である。
という縁があるから‥なのであります。

拝借したからには、生の声を聞かなければ!と言う
こじつけの言い訳を用意して、
世界各地の実情を見聞して帰ってきたあの小沢健二が、
「いまの日本のファンに向けて、何を語るのか?」
ということを楽しみに、いろいろ頭を働かせながら、サンポートへ向かいました。

スカパラ、ヒックスヴィルによる確かな技術の演奏。
ボイストレーニングによる小沢さんの歌唱力の上昇。
練りに練られた楽曲、演出、構成。
そして、サプライズゲストの登場。(スチャダラ)
と、完成度の高い内容でしたが、やはり印象的だったのが、
曲間に組み込まれた、
社会的な朗読、語り。
長いしうる覚えなので、要点だけまとめてみました。

2003年ニューヨーク、突然の停電、暗闇の中、
光を失った世界での人々の振る舞いや、唄が、心に焼き付いて離れることがない。

想像力を飛躍(上昇)させることの重要性。
相対的な視点での貧困格差問題の考え方。
アジアの魂、地域共同体、愛国心の復刻。
日本人の欧米化への疑念。
ひふみよ、漢字、日本語の文化の素晴らしさ。
安全過剰社会による危機意識の欠如、本能の劣化。など、など…。

渋谷系の時代、プリンス(道化)を意識的に演じていた
あの小沢健二を期待している大多数のファンに、
届かないのが解っていながら、
“宗教的な、社会的なメッセージを投げかける”
という行動に、どれくらいの意味があるのか?と、
疑問に思ったのは確かですが、
途中発表された新曲が、
“苺の苗を育てるのをテーマにした曲”
“日本の民謡をテーマにした曲(シッカショ節)”
“時間軸を曲げる曲”
であったことからも、小説『うさぎ』の内容も含め
小沢健二が、何かを確信して、たとえ届かなくても、強い意志で、
これから活動していくのだけは、間違いないな‥と感じました。

そのことによって、“汐さぎ!庵”の理念も、より確かなものになっていく、と確信した一日でした。

2010年6月12日土曜日

物語のはじまり/食と農について思うこと/大義名分。


創業計画書の資料として制作。

大義名分、建前、これをいい加減にすると、
何がなんだか、解らないものになってしまう。

着眼を高くし、総体を見回し、手順を以て、施工すべし。

2010年6月11日金曜日

ここからはじめる。


序論
……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である。ずいぶん忙しく仕事もつらい。
もっと明るく生き生きと生活をする道を見つけたい。
我らの古い師父たちの中にはさういう人も応々あった。
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい。

界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する。
この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか。
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことにある。
われらは世界のまことの幸福を索ねよう。
求道すでに道である。
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宮沢賢治は、世界全体を幸福にするために、
芸術、宗教、音楽、詩、多様な要素を駆使して、
農村からの文化、人間の復興を目指し、
『羅須地人協会』を設立した。

理想は2年で頓挫したが、
その思想は、現代でも色あせることはない。

既成概念にとらわれない、抽象度の高い発想で、
自分の道を真っ直ぐ進む。